ソープランド嬢の肌のぬくもり持ちかえり、よみがえらせては、また五指とたわむれ、前ならば期待に満ちてあらまほしきセフレの姿形、寝る前には思い出すものだ。
また後は、実はセミがざわつく音が聞こえる部屋の、先客の援交女性が残した怪しげなる紋様の上で、都合よくとりまとめてこらまた美化し、
それぞれを対象に果たすのだから、虚実いずれがより楽しいかといえば、むしろ自己完結がまさるともさえいえた。
たしかに朝に夕に一触即発の具合だったが、これは年の盛りといった頃なら当然、特にセックス好きのしるしではなく、
セックス好きといえば、さらにあでやかみやびやかな、しかも翳を帯びて、年ふればおのずと内よりその残景のにじみあらわれ、
たとえば秋の暮つかたの如く、みる人をして心うたしめるたたずまいの、その大本となるべきものであろう。
少し昔風な表現をしているが、援交やセフレの話題では、普通に書くのも面白みがないからだ。
そして夏なら、バルコニーでセックス、ピンサロ嬢・セフレの女性は、あたかも子供のように恥ずかしがり、
冬ならベッドの布団は、たちまち冷えて、氷ドライアイスとも異なる、男精の異様な冷気さけつつ足を縮め、いずれも明けて後みれば、
セフレ女性の残した白い汚れとなっていて、下宿の押し入れには、後始末に使用したあらゆる形の布製品が押し込められていたものだ。
あるいはあの当時に、もし男精定量説を信ずるならば、出ししくってしまったのだろうか、三十八歳といえばまずは男盛り、
それがけろっと解脱の境地、TVなどで飲食街の復活を叫び、援交女性のやさしい心づかい声高にいってはいても、援交目的の女性には手など出したりしない。
現在だって、往年のそれに近い場所はあり、風俗街・飲食街生き残りといった面で、ある時期金を稼いでいたから、かつて年若い連中と共にいわばその先達、
一面に乗り込み、はやる若者をおさえつつ、急いては事を仕損じると品定め、ピンサロ嬢、デリヘル嬢を見て回るうち、
それまでいくらかその気のないでもなかったのが、みるみる消滅して、カフェでセフレになりそうな女性を物色したものだ。
何も今更こんなところでと、自ら言っても断られそうだ、なにより、セフレにしたい女性の気が強いこと、声こそかけないが物陰に潜んで眺めたものだ。
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援交女性との関係はNG